2018年3月に特許・実用新案審査ハンドブックの改訂が公表されました。
主に、コンピュータソフトウェア関連発明の審査基準の改訂とそれに伴う審査ハンドブックの改訂が行われたようです。
特許庁のウェブサイトには改訂ポイントがまとめられています。
http://www.jpo.go.jp/shiryou/kijun/kijun2/pu-kijun_kaitei_h27.htm
審査ハンドブックの付属書Bに関する今回の改訂で私が注目した点をメモしておきたいと思います。
●付属書B第1章2.1.1.2
留意事項(iii)には、「請求項に、使用目的に応じた特有の情報の演算又は加工が記載されている場合には、ハードウェア資源として「コンピュータ(情報処理装置)」のみが記載されている場合であっても、、、ハードウェア資源とソフトウェアとが協働した具体的手段が記載されていると解釈される」という趣旨の記述があります。要するに、処理が具体化されていれば、請求項にハードウェア資源としてコンピュータを登場させることでコンピュータソフトウェア関連発明として認められると考えて良いようです。これは、実務家の感覚としては当然で、以前の審査基準に書かれていた例のようにCPUやメモリ等を登場させることに違和感がありました。コンピュータを登場させずに、どのように請求項を書くのか考えることはありましたが、CPUやメモリ等を請求項に登場させようと考える実務家は少なかったのではないでしょうか。いずれにしても、今回の留意事項(iii)によれば、「コンピュータ+具体的な処理」で「ハードウェア資源とソフトウェアとの協働」を表現できることが明示されたため、この書き方にしておけば無用な拒絶を受けないことは確認できました。
●付属書B第1章2.1.2
例1の(説明)において、請求項の「末尾に「キャラクタ」と記載されていても「データ」であることは明らかである。」と記述されています。特許庁としては、データ構造クレームの末尾が「キャラクタ」となっているような「データ構造」クレームを作成可能と考えているようです。
●付属書B第1章2.2.3.3
ここでは、いくつかの例について進歩性が肯定又は否定される例が説明されています。例1,2,4,5が人工知能関連の技術でした。
・例1
請求項:鋳造された鋼片を再加熱した後に、圧延、冷却して製造する鋼板の溶接特性を予測する方法であり、鋼の成分及び製造条件を入力値とし、ニューラルネットワークによって鋼板の溶接特性を推定する
主引用発明:鋼の成分及び製造条件の実績値を入力値とした数式モデルを用いて鋼板の溶接特性を予測する方法
副引用発明:所定の入力値を用いてニューラルネットワークモデルによってガラスの材質を推定する方法
・例2
請求項:心筋断面の心筋壁を小領域に分割した画像を入力し、ニューラルネットワークによって壊死心筋組織を含んでいるか否かを判定する
主引用発明:心筋断面の心筋壁を小領域に分割し、小領域の画像から各小領域に壊死心筋組織を含んでいるか否かを小領域の画像の平均濃度により判定するシステム
副引用発明:画像を小領域に分割し、当該小領域に対して所定の特徴の有無を判定するように学習させたニューラルネットワーク
・例4
請求項:内燃機関の振動センサで検出した振動検出信号を入力値としたときニューラルネットワークから出力されるシリンダ内圧推定信号をシリンダ内圧とみなす内圧検出方法において、学習時及び学習後の入力値のサンプリングレートを内燃機関の回転速度に応じて変更する
引用発明:学習時及び学習後のサンプリングレートを一致させることは特定するものの、内燃機関の回転速度に応じて変更することは特定しない
・例5
請求項:加熱炉内の圧力のデータと、煤煙の温度のデータと、煤煙中のCO2濃度及びO2濃度のデータとをニューラルネットワークの入力データとして煤煙中のNOx濃度を推定する
引用発明:煤煙の温度のデータと、煤煙中のCO2濃度及びO2濃度のデータとを入力データとすることは特定するものの、加熱炉の圧力データを入力データとすることは特定しない
結論としては、例1,2において進歩性なし、例4,5において進歩性ありとなっています。
例1,2では、主引用発明と副引用発明との間で課題が共通、機能又は作用も共通であり、有利な効果や阻害要因は存在しないとされています。この前提のもとで、主引用発明と副引用発明とを組み合わせることができ、当業者であれば容易に請求項に想到するというロジックです。例1,2では、主引用発明と副引用発明とを組み合わせると請求項と同等の構成になりますので、進歩性が否定されるのは当然ですね。主引用発明と副引用発明との組み合わせがこれほど請求項と一致していれば進歩性がないのも当然であり、人工知能特有の論点があるというわけでもありません。
ただし、例1,2においては、ある入力値をニューラルネットワークに入力して特定の特性を推定するという点を権利化する請求項となっており、私自身は、以前も述べましたように、このような請求項が人工知能関連技術の権利化において有効であると考えています。ブラックボックスの部分ではなく、侵害特定容易な部分を請求項にすべきと思うからです。例1,2は、主引用発明と副引用発明の組み合わせが請求項そのものでしたが、多くの場合は、主引用発明と副引用発明の組み合わせと請求項との間に僅かであっても差異があると考えられます。差異があるならば、この差異によって生じる効果が引用文献から予想できない効果であるといえるように請求項を作成することで、進歩性ありとされる可能性を高められると考えます。
例5は、まさにこの例と言えますね。請求項においては、圧力のデータをニューラルネットワークに入力しますが、引用発明では圧力のデータを入力データとすることは特定していません。このように、入力データの内容が先行技術と異なれば、その点で進歩性を獲得する可能性があります。従って、人工知能関連技術の権利化実務においては、入力データに特徴があるか否かを明らかにし、特徴があるならば請求項とするという作業が重要になると考えられます。
なお、例5の場合、発明者さんは機械学習に関する技術のみを発明したのでしょうか。私は、この場合においてより広い権利の確保を検討すべきと考えています。例えば、例5であれば、加熱炉内の圧力のデータと、煤煙の温度のデータと、煤煙中のCO2濃度及びO2濃度のデータとを入力データとし、煤煙中のNOx濃度を出力する数式モデル等の発明を完成させることが可能かもしれません。つまり、機械学習の発明においては、機械学習を使って入出力関係を明らかにしたが、入出力関係が明らかになった後には、機械学習を使わなくてもこの関係を自然界に適用可能である場合があり得ます。私は、このような発明の権利化も常に視野に入れておくべきと考えています。機械学習のみですと権利としては狭いですし、侵害特定も容易ではないと考えるからです。
例4は、ニューラルネットワークへの入力値をサンプリングする際の工夫を請求項で表現しており、引用発明には同等の工夫が見られないという例です。ニューラルネットワークに対する入力値と、ニューラルネットワークからの出力値とが公知である場合、入力や出力のみに着目した請求項で進歩性を獲得するのは当然困難になると考えられます。この場合、例4のように、入力データの準備として工夫した点など、入力値自体と異なる要素に着目して権利化するのも一つの良い実務になると考えられます。特に、CNN(Convolutional Neural Network)などにおいては、多くの場合、入力データのフォーマットが単なるRGBデータであり、特徴のない画像データであるという状況であると考えられます。このような場合、入力データの加工や出力データの解釈などにおける特徴を探さざるを得ないことは多いように思えます。人工知能関連技術を権利化する際には、検討すべき方向性として常に念頭に入れておくべきと考えられます。