お寒うなりました。
鍋料理が美味しい季節になりましたね。
さて、小学生のとき社会科の授業で、
濃尾平野には大きな川が何本も流れており、
水害から身を守るための知恵として、輪中が作られた
というようなことを習った記憶があり、
濃尾平野に行くことがあったらぜひ輪中の中に入ってみたいと思っていました。
これは、白川郷の合掌造りのお宅にぜひお邪魔してみたいという感情と
同種のものでした。
なので大人になってからは、
電車や車で、濃尾平野を流れる大きな川にかかる橋を通過するたびに、
目を皿のようにして、輪中を探したものでした。
でもどんなに目をこらして上流や下流を凝視してみても、
ついぞ輪中を発見することができませんでした。
なので私はこういう結論に至りました。
輪中での生活は、車による交通が発達した現代には適さず、
いつぞや廃れてしまったのだろう、という結論に。
と、ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
私は輪中についていくつか大きな誤解をしておりました。
私は、輪中とは、
小学校で習った知識に私自身の想像の尾ひれがついて、
次のようなものであると勝手に思い込んでおりました。
・川の中(中州)にある、文字通り輪(円形や楕円形の輪)のような形の堤防で囲まれた
小さな集落である。
・その円形や楕円形の堤防の下流側の一部は、可動式の堤防(水門)となっており、
そこが船着き場となる。増水時にはもちろん閉める。
・輪中から輪中へ、輪中から岸へ、はもちろん船で移動する。
・増水したときはもちろん危険であるがそのような危険を百も承知であえて輪中に
居住するのは、川を知り尽くした熟練の誇り高き漁師さん(鵜飼や鮎の養殖等に従事)である。
・現代では廃れてしまい居住する人がいなくなったとしても、
その跡ぐらいは残っているはずだ(観光資源として)。
数週間前に所員Jさんから輪中の真実を教えてもらったとき、
にわかには信じられませんでした。(詳細は先日の所員Jさんの記事を参照ください)
私の想像とあまりにも違っていたからです。
私: 「そ、そんな・・。輪中は川の中州に作られたと学校で教わっ・・」
Jさん: 「まあ、中州といえば中州です。」
私: 「中州といえば中州? ・・・!!」
濃尾平野の中州はスケールが違った。
あの大きな川と川の間の土地が、言うなれば中州であったとは!
そして輪中は田畑をも、さらには中学校をも内包するほどに広いとは。
輪中から輪中への移動は船を使わなくてよかったとは。
(今まで気づかなかったなんて、どんだけ?というそしりは聞かないことにします)
足かけ20年にも及ぶ誤解が解けました。
Jさん、図付きの明快な解説をありがとうございました。
最後に唐突に謎かけを一つ。
鍋料理のシメとかけまして
大雨の後の川ととく
その心は
ゾウスイが気になります。
お後がよろしいようで。