Knowledge Partners 弁理士法人【名古屋の特許事務所】

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Oh..what a beautiful morning !

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なんて気持ちのいい寝不足の朝でしょうか。
おはようございます。
日本、デンマークに勝って決勝T進出を決めましたね。
昨日は21時就寝で3時半起床の予定でしたが、
痛恨の30分寝坊。目覚めると4時を少し回っていました。
急いでテレビを付けると、2-0で日本リード。
夢かとも思いましたが夢ではありませんでした。
時間的には遠藤選手の2点目のFKが決まった直後にテレビを付けたようでした。
2本もビューティフルゴールの瞬間を逃してしまったとは所員B、痛恨のミステイクです。
素晴らしいフリーキック。
最終的には3-1で勝利しましたね。3点目もなかなか素敵でしたね。
でもこんなに得点できるなんて、正直想像できませんでした。
素晴らしいですね。一歩一歩日本代表は力を付けていっているのですね。
テクニカルな面での感想は、専門家にまかせるとして、
私が今回日本代表から感じ取ったことは、これです。
「逆境においても腐らない」
開幕前はなかなか結果を残せず、世間からかなり批判されました。
私も今年に入ってから、もう日本代表の試合は見たくない、とまで思ったこともありました。
でもそんなメンタル的に苦しい状況下でも、腐らずチーム団結して
自分たちがやるべきことを粛々とやり通せたこと、すばらしいと思いました。
でもまだ終わりではありません。
次、パラグアイ、頑張って欲しいです。
-----おまけ------
昨日は21時に一応床についたのですが、
イタリア-スロバキアの試合が気になった(居間から時々悲鳴が聞こえる)のと、
日本-デンマークの試合に向けてはやる気持ちを抑えられなかったのとで、
横にはなっていたのですがあまり眠れていません。
なんということでしょう。イタリアまで去ってしまうとは。
しかしこれからさらにハイレベルな闘いの数々が始まるのですね。
他にもどんなサプライズがあるでしょうか。楽しみですね。
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いろいろこみ上げてくるものはあるのですが、
いまだ興奮しているのか、うまくまとまりません。
ひねりのない文章で失礼いたしました。

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n年目の真実

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お寒うなりました。
鍋料理が美味しい季節になりましたね。
さて、小学生のとき社会科の授業で、
濃尾平野には大きな川が何本も流れており、
水害から身を守るための知恵として、輪中が作られた
というようなことを習った記憶があり、
濃尾平野に行くことがあったらぜひ輪中の中に入ってみたいと思っていました。
これは、白川郷の合掌造りのお宅にぜひお邪魔してみたいという感情と
同種のものでした。
なので大人になってからは、
電車や車で、濃尾平野を流れる大きな川にかかる橋を通過するたびに、
目を皿のようにして、輪中を探したものでした。
でもどんなに目をこらして上流や下流を凝視してみても、
ついぞ輪中を発見することができませんでした。
なので私はこういう結論に至りました。
輪中での生活は、車による交通が発達した現代には適さず、
いつぞや廃れてしまったのだろう、という結論に。
と、ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
私は輪中についていくつか大きな誤解をしておりました。
私は、輪中とは、
小学校で習った知識に私自身の想像の尾ひれがついて、
次のようなものであると勝手に思い込んでおりました。
 ・川の中(中州)にある、文字通り輪(円形や楕円形の輪)のような形の堤防で囲まれた
  小さな集落である。
 ・その円形や楕円形の堤防の下流側の一部は、可動式の堤防(水門)となっており、
  そこが船着き場となる。増水時にはもちろん閉める。
 ・輪中から輪中へ、輪中から岸へ、はもちろん船で移動する。
 ・増水したときはもちろん危険であるがそのような危険を百も承知であえて輪中に
  居住するのは、川を知り尽くした熟練の誇り高き漁師さん(鵜飼や鮎の養殖等に従事)である。
 ・現代では廃れてしまい居住する人がいなくなったとしても、
  その跡ぐらいは残っているはずだ(観光資源として)。
数週間前に所員Jさんから輪中の真実を教えてもらったとき、
にわかには信じられませんでした。(詳細は先日の所員Jさんの記事を参照ください)
私の想像とあまりにも違っていたからです。
私: 「そ、そんな・・。輪中は川の中州に作られたと学校で教わっ・・」
Jさん: 「まあ、中州といえば中州です。」
私: 「中州といえば中州?     ・・・!!
濃尾平野の中州はスケールが違った。
あの大きな川と川の間の土地が、言うなれば中州であったとは!
そして輪中は田畑をも、さらには中学校をも内包するほどに広いとは。
輪中から輪中への移動は船を使わなくてよかったとは。
(今まで気づかなかったなんて、どんだけ?というそしりは聞かないことにします)
足かけ20年にも及ぶ誤解が解けました。
Jさん、図付きの明快な解説をありがとうございました。
最後に唐突に謎かけを一つ。
鍋料理のシメとかけまして
大雨の後の川ととく
その心は
ゾウスイが気になります。
お後がよろしいようで。

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つまみの枝豆 と K点越え

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2年ほど前にDYさんにいただいた大豆を去年から栽培し始め、
今年ようやく枝豆の時期に枝豆として食すことに成功しました。
(昨年度は今年分の種としての豆をやっと収穫できたに過ぎなかった)
栽培といっても、住宅街のど真ん中でマンション暮らしの身ゆえ、自宅で栽培はできないので、
実家の庭やら畑やらの一角をを借りて栽培しておりました。
実家と自分の自宅はそんなに近くないので、そうたびたび帰ることもできず、
ちょうど枝豆として食す場合の収穫シーズンに実家に帰ることができるかは
わからない状況でした。
ところがシルバーウィークにちょうど実家で法事が行われることになったので、
まだ枯れていない豆を収穫することができました。
たくさん取れたので、兄夫婦にももらってもらいました。
そして、法事を終えて自宅に帰った後、エビスのおつまみとして枝豆をいただきました。
ビールと枝豆ってほんとに合いますね。
枝豆もつややかで、甘く美味しかったです。
ビールに枝豆ってほんとに合いますね。(2回言う)
ところで、この大豆を植えたのは6月の梅雨の時期の
とある日曜日だったわけですが、
大豆を植えた記憶とともに、思い起こされるある出来事があります。
原因不明の発熱騒動です。
大豆は株?が結構大きくなるのでそれなりに間隔を開けて植えないと
いけない(と昨年学習した)のですが、ということは結構広い土地を耕したり植えたり、
水をやったりしなければならず、結構重労働でした。
作業を終えて渋滞を避けるため夜に自宅に帰り、床に入ったところ、
どうも体の調子がおかしく、うんうん唸って苦むようになりました。翌日は仕事なので、
なんとか寝ようとしましたが寝付けず、明け方ごろまでうんうん唸った末、
なんか絶対おかしいと思い熱を測ってみたところ、
私の中の発熱尺度で表現するところの、K点を越えてしまっていました。
K点越えの発熱は、何年ぶりか覚えていないぐらい久しぶりだったので慌てふためきました。
折しもその時節、新型インフルエンザがヒステリックに報道されていた頃(パンデミック云々)で、
これは、ついに私にも来てしまったか、と真剣に思いました。
「○○市初の感染者」等とニュースになってしまうことが頭をよぎりました。なので、
家族に感染者が出た場合、自身も一週間ほど休みを取らなければならないらしい
同居人も含めて、ちょっとした家庭内パニック状態に陥りました。
朝になって、最寄りの保健所の発熱外来に電話し、
症状や渡航歴やここ一週間ほどの行動範囲を聞かれ、それらの質問に答えると、
かかりつけのお医者さんにそのまま行ってもらって結構ですと言われたので、
近くの診療所に行ったところ、「ただの風邪です」と言われ、
処方された薬を飲んで一日寝ていたら、翌日には綺麗に熱は下がりました。
どうも新型インフルエンザの特徴的な症状として咳があるようなのですが、
私は全く咳は出ず、いきなり高熱がでただけでした。(多少腸の調子を崩しましたが)
ただの風邪でよかったです。タイミングが悪かったですが。
しかし、たった半日の畑仕事で疲れて熱を出すとは、なんとひ弱な。
それとも、実家の飼い犬(大型犬)と顔を近づけ合っていたとき、
至近距離でワンワン吠えられたので、その時何かばい菌?を吸ってしまったのでしょうか。
新型インフルエンザは、夏の間もじわじわと勢力を拡大し、
とくに重大な持病を持たない若い人や働き盛りの人たちの中にも亡くなった人が
出てきて、油断できないですね。
新型ではない季節性インフルエンザもかれこれ20年ぐらいかかってないような
気がしますので、もう長い間インフルエンザには無縁の人生を送ってきました。
今年の秋冬もなんとか健康に乗り切れるとよいのですが・・。
元々呼吸器系が弱いのでH1N1とはかかわりたくないです。
皆さまもどうぞお気をつけください。

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四方山話

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毎日暑うございますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
少し前に皆既日食がありました。
最大に欠けるといわれていた時刻には、まるでこれから夕方に向うかのように
辺りがやや暗くなったように思いましたが、
しかしながら、雨雲による暗さと明確に区別がつかず、
なんとも消化不良に終わりました。
木漏れ日にも三日月形の影ができるのを見てみたかったのですが。
さて先日、何の気なしにテレビで国営放送を見ていたら、
ちょうど、とある刑事ドラマのエンディングクレジットの場面が映し出されており、
そのエンディングクレジットの背景の映像になんだか見覚えがあるなと思ったら、
名古屋の街並みでした。
どうやら名古屋の放送局で製作されたドラマのようでした。
最初の方に、桜通りを、名古屋高速都心環状線の高架下あたりから名古屋駅に向う方向に進む映像が写ります。
その後も、栄の観覧車が写ったり、
最後の方に、錦通りを東から西に向う方向に進む映像が写ります。
そのときに、Knowledge Partnersが入っているビルも画面左手に写っていました。
自分のよく知っている場所が写っているのを発見すると、
ちょっと嬉しいものですね。
本州でこんなに暑いのですから、沖縄はきっとものすごく暑いのでしょうね。
数えてみると沖縄に三度出かけたことがありますが、
いまだかつて真夏の沖縄を体験したことがありません。
もう数ヶ月も前になりますが、4月下旬に西表島を訪れたとき、
カヌーを初めて漕ぎました。そのときの気持ちよさが忘れられません。
まだGWが始まる前でしたので、他の誰ともすれ違わず、
ただ、風の音、川のせせらぎ、パドルをこぐ音、鳥と虫の鳴き声、
だけが聞こえました。他は何も聞こえませんでした。
亜熱帯独特のマングローブの中をこぎ進んだり、
河口の方まで出てみたり、
全力で漕いだらどれぐらいスピードが出るか試してみたり、
しました。
それはそれは、気持ちがよかったです。
機会があればまた行きたいです。
もうすっかり、沖縄に魅せられました。
川の上流や下流を行ったり来たりしているときに、
川面にぷかぷか浮いていたメヒルギかオヒルギ(マングローブ)の種を
「これ、持ってかえって育ててみてください」と手渡されたので、
それをうちに持って帰って育てています。
もう根も出て、茎も伸びています。どこまで大きくなるでしょうか。
楽しみでもあります。
西表島は、山も海も川も、本当にとてもとても素晴らしいところですね。
以上、とりとめもない話を失礼いたしました。

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梅にまつわるエトセトラ

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梅が出回る時期の雨なので、梅雨と書くのだということを
梅干しを漬けるようになってから改めて気づきました。
梅雨のこの時期、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
昨年から梅干しを自家製しています。
今年は梅を2kg買い、1.35kg程度を梅干しに、
そして梅干し漬け用の壺に入りきらない残りの梅を梅酒にしました。
梅酒を作るのは今年が初めてでした。
この入りきらない梅をどうしようか考えた末に急遽思い立ったので、
氷砂糖が手に入らず(わざわざ買うつもり無し)、糖類なら氷砂糖にこだわらなくてもいいのでは
ないかと思い、家にあった黒砂糖やらメープルシロップやらを投入し、
1時間弱で完了しました。3ヶ月後ぐらいから飲めるとのことで、
うまくできているとよいのですが。
梅干しの方は今年で2回目で、だいたいやるべきことは頭に入っています。
とりあえず注意すべきことはカビが生えないように神経質なまでに清潔にすることです。
35度の焼酎を使って、です。
塩分の量は、梅の重量の18%にしました。自然塩を使います。
1週間程度で梅酢があがったので、赤紫蘇を購入し、その日のうちに処理しました。
赤紫蘇は、すぐしなびるので急がないといけないのです。
昨年は、あく抜きなどの下処理をしてもう梅酢に漬けた状態のものを買ってきて
壺に投入しただけなのですが、今年はナマの赤紫蘇から挑戦です。
紫蘇の葉を一枚ずつ綺麗に洗って汚れを落とし(そのうちの一枚に体長2cm直径数mm程度の何かの幼虫がまったりくつろいでいるのを発見したとき、くじけそうになりました)、
茎から葉をちぎって、水気を十分に取る作業はなかなか骨が折れました。
そこから塩でもんで固く絞ってあく抜きをします。
青紫色の汁が出ると書いてあったので、それを期待していたのに、
1回目のあく抜きのときに出た汁の色は黄緑色で、予想していた色と
違う色が出ると、怖くなります。気持ち悪くなりました。
たとえば、乳牛の足下に跪いて搾乳したとき、白い液体が出てくると
思ったのにイカスミのように黒い液体が出てきたとするととても驚くだろう状況と
似ていると思います。
でも黄緑色の汁が出終わると、無事青紫色の汁が出ました。
赤紫蘇は大量な量がビニール袋に入れられて売られているので、
当然1.35kgの梅干し用の梅に対する赤紫蘇の量をはるかに超えているわけで
余った赤紫蘇をどうしようか考え、シソジュースを作ることにしました。
赤紫蘇を煮出すと出てくる液体は、前述の通り青紫色なのですが、
酸性のものとまざると鮮やかな赤紫色に変化します。
化学の実験など、高校以来やったことがない自分にとっては驚きの瞬間のはずでしたが、
その液体を入れた容器の内壁の色が濃いグレー(ほぼ黒)であったため、
青紫→赤紫の色の変化はあまり見て取れず、楽しめませんでした。
本来は、クエン酸を入れるそうですが、そんなものはうちになかったので、
普通の米酢を入れました。あと、糖分も味を見ながら適当に投入します。
(梅干しが綺麗な赤紫色になるのは、梅酢のクエン酸と反応しているのだろうと思いました)
そうやって手間暇かけて作ったシソジュースは、2Lのペットボトル1コ分ぐらいできあがりました。
そのシソジュースに氷を入れて、濃いめの味で飲むと、なんとなく体がしゃきっとします。
蒸し暑くてしんどいなと思うときの自家製栄養ドリンクです。
ところで、自家製梅干しは、保存料など入れないので塩分濃度が低いと
カビが生えてすべてが台無しになってしまいます。なので塩分濃度が
ある程度高くなるのはしょうがないことなのですが、実際食べる段階になると、
しょっぱすぎて心臓がどきどきするぐらいなので、そのままでは食べられそうに
ありません。そこで、食べる分だけ(たとえば1ヶ月に食べそうな分だけ)
保存用の壺から取り出して塩抜きして、小さい容器に移し、冷蔵庫で保管します。
塩抜きすると、ようやく普通に食べられるぐらいの塩梅になります。
なんでも、自分が手間暇かけて、あるいはあれこれ考えて作ったものは、
食べ物にしても、工作系にしても、大事に味わいたいあるいは大事にしたいと
思えるものですね。

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百枡ざます

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最近、思うところがあり、
毎朝、以前より10分早く席に着き、
仕事を始める前に計算問題を解くようになりました。
いわゆる100マス計算です。
手書きのものではなくて、大人の算数的なソフトを使ってやっています。
(手書きだと採点が面倒だから)
5×5個や10×10個のマス目の上と左側にそれぞれ数字が表示され、
それらを、あるときは足し算し、ある時は引き算し、またある時は掛け算するのです。
スタートボタンを押すと、500msごとにチクタクチクタクという音が流れるので、
いきなり焦らされます(感覚的には500msよりもうちょっと短い感じがします)。
計算結果を入力してエンターキーを押すと、その場で○か×かが音と共に伝えられます。
間違えるとブブーとやられます。
ムっとなります。
今はまだ一桁同士の計算しか出てきていないのですが、
それでも、1セットで合計、(5×5)×3+(10×10)×3=375回計算すると、
最後の方は結構疲れて集中力がなくなり、計算のテンポが遅くなるし間違いも増えます。
終わった後は頭の血管内で血液が勢いよく流れてる感じがします。
100マス計算をやるようになって思うのは、
特にかけ算をやっていて思うのは、
もはやいちいち九九を頭の中で唱えていないということです。
数字と数字の組み合わせを見たら、
それらを掛け合わせた数がぱっと頭に浮かぶのです。
(ただし、一桁×一桁の場合だけ)
子供の頃はいちいち頭の中で九九を唱えていたような記憶がありますが、
大人になると、数字の組み合わせだけで分かるようになるのですね。
足し算引き算もそうです。
数字の組み合わせを見れば、その答えがヴィジュアル的に
ぱっと浮かぶようになるのですね。慣れでしょうか。
私はそろばんも習っていなかったし暗算はどちらかというと苦手です。
なので、ステージが進んで、二桁同士のかけ算とかになったら、
暗算で解ける自信がありません。
そろばんをならっていた人や、インドやシンガポールの子供たちは
どうやってそんな計算を頭の中でやっているのでしょうか。
私が二桁以上数同士の計算を暗算でしようとすると、
頭の中では仮想筆算が行われます。
でも私のメモリは揮発性が激しいので、足し算引き算まではよくても、
二桁同士のかけ算では、最後に足し合わせるために記憶しておかなければならない数字を
容易に忘れてしまいそうです。
そろばんを習っていた人は暗算をするとき、右手が動いていたりしますが、
それはきっと頭の中でそろばんの玉の状態がヴィジュアル化されているのですよね。
人間の頭の能力ってすごいですね。
残念ながらそろばんが扱えない私は、仮想筆算路線で行くしかない(と思っている)のですが、
そうすると、数字を忘れずに覚えておくという訓練をしないと、
二桁のかけ算はできないですね。だめですね私。
それとも、よく知らないのですが、インドやシンガポールの学校での二桁のかけ算は、
日本の学校では九九は丸暗記するものであったように、丸暗記するものなのでしょうか?
(99-9)^2=8100個も? それは・・まねできません。
それから、高校を卒業して以降、漢字が思いの外、書けなくなりました。
読めるのですが、書けないのです。
最近手書きで書く文字と言えば、自分の住所と名前ぐらいなものです。
英単語のスペルも怪しくなってきました。見れば読めるし意味も分かる単語も
書こうとするとあら?と思うことがあります。
パソコンを使うことに慣れすぎて、自分の手を動かして絵を描いたり図を描いたり
字を書いたりということをしなくなりすぎました。
このままではパソコンの便利さにspoilされて際限なく記憶力も思考力も低下していきそうです。
原点に立ち返らなければと思いました。

ブログ村

サクラサク

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昨日はお休みをとって、眼科に行ったり、銀行に行ったりと、買い物に行ったり、と、
たまっていた用事を順に片付けて行きました。
街を歩いていると、道ですれ違う青年が熱心に携帯を見ていました。
すれ違い違いざまに、実況の音声が青年の携帯から漏れ聞こえました。
眼科の待合室では、順番待ちのおじさんが携帯を熱心にのぞき込みながら
「よし、三者凡退だ」とつぶやいていました。
薬局では、大きなテレビのモニターが置いてあり、薬待ちのお客さんも薬剤師の人も、
ソワソワチラチラと状況を見守っていました。
私が薬局に入ったちょうどそのとき、韓国に1点を返されて1-1の同点になっていました。
薬局に入るなりそのモニターが目に入って戦況を知り、絶句して固まってしまった私に、
薬剤師の方は、私が我に返るまで傍らで静かに待っていてくれて、
ほほえみながら受付用紙を渡してくれました。
すべての用事を済ませて家に帰り着いたころ、試合は終盤を迎えていました。
9回裏に同点に追いつかれたとき、
ああもうこれ以上見ていられない(心臓がどうかなりそうだったから)と思い、
テレビを消しました。
それでも試合がどうなっているか気になったのでパソコンをつけて、
テキストで実況しているページを自動更新設定にして見ようとしましたが、
アクセス数が多すぎたみたいで(パンクして?)つながりませんでした。
皆さん、相当試合が気になっているんだなと思いました。
次にテレビをつけると、原監督がマウンドに走り寄っているところでした。
そうです。一番いいところを見逃しました。
ですが、ああ、勝ったんだ・・・そう思ってすごくほっとしました。
韓国は本当に強敵でしたが、WBC2連覇、本当におめでとうございます。
選手のみなさんは、私などが想像もできないような相当なプレッシャーを感じていたと思いますが、
そんな中ちゃんと三振を取ったり、絶妙なところにヒットを打ったり、
絶妙に送ったり、盗塁したり、本当にすごいなと思いました。
王さん風に言うなら、「諸君たちは本当にすばらしい。」
原さん風に言うなら、「お前さんたちはほんとにすごい。」
サクラサク。
本当におめでとうございます。興奮と歓喜をありがとう。

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何事もアイデア次第と思った次第

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3連休の中日に、大学時代からの友人が所属しているコーラスグループの
コンサートに行ってきました。
そのグループは1999年に結成されたそうで、
今回のannual concertが10周年記念イベントだったのでした。
全部合わせても25人ぐらいの、第一印象としては少なめな人数構成のグループでした。
全部で3ステージあり、そのうちの1ステージが、
1999年から今までの10年間を振り返って、
年ごとにその年に流行った曲を、観客参加型で踊りも交えて楽しく歌うというものでした。
それが、すごく楽しかったです。
10年前に自分が一体どのように日々暮らしていたかを
何の手がかりもなしに唐突に思い出せと言われると結構難しいですが、
音楽の助けを借りると、驚くほど鮮やかにいろんなことを思い出しました。
中には、あまり思い出したくない記憶もありましたが・・。
(新入社員の年の忘年会の余興で踊った曲とか)
指揮者の女性は私と見た感じ同年代ぐらいで、プロフィールを見ると、
中学校で音楽の先生をやっていらっしゃる方のようでした。
その指揮者の女性はMCもこなし、関西弁で話す内容も常におもしろく、
会場の観客の皆さんも老いも若きも男も女も大盛り上がりで、
私もとても楽しいひとときを過ごすことができました。
こんなにこじんまりとしたコーラスグループの、入場料無料のコンサートも、
アイデア次第でこんなに観客を楽しませることができるなんて、
すばらしいな、と関心しました。
すばらしく楽しい夜をありがとう、と言いたいです。

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備えあれば

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この季節になると毎年思い出すのは、
1995年1月17日の早朝に起きた兵庫県南部地震のことです。
その当時私は、震度5の地域に住んでいました。
そのとき私は自室で就寝していました。
もう何年も前のことなので、その瞬間の状況を詳しくは覚えていませんが、
でも鮮明に覚えていることは、私が寝ているベッドめがけて金属製の本棚が倒れてきたことです。
(この話、周りの人には何度も話したので、耳タコかもしれませんが・・)
ベッドのヘッドボード?に当たったので私は怪我をせずに済みましたが、
そうでなければ、打撲(顔面か頭部)だけでは済まなかっただろうと思います。
地震が起きたら机の下に避難せよと小学生ぐらいのときに習いましたが、
そんなことをしている暇はありませんでした。逃げも隠れもできません。
しばらく呆然と固まっていると、階下から父親の「大丈夫か?」という声がして
ようやくベッドから抜け出して階下に降りると、
棚の中のものは全て落ちて割れて散乱しており、
割れた瓶の内容物の匂いが充満していました。
壁には大きく亀裂が入り、庭の石灯籠は倒れて割れていました。
テレビを観て、神戸で大きな地震があったのだということを知りました。
学校のある日だったので、とりあえず学校に行きましたが、
午前中で急遽学校は終わりになり、みんなお昼で家に帰ることになりました。
家に帰ってまたテレビを観ました。
NHKのおそらく大阪放送局のアナウンサーがおそらく大阪のスタジオ内で
地震情報をLIVEで伝えているときに、「いま余震とみられる揺れが・・」との言葉とともに
スタジオ内が大きく揺れている映像が放送されていました。
父が「もうすぐこっちにもくるぞ」と言うと、本当に数秒後に私も大きな揺れを感じました。
このときは身構えていたし心構えも出来ていたので、大丈夫でした。
テレビでは、被害状況が伝えられはじめました。
阪神高速の高架が深江の辺りで倒れている衝撃的な映像や、
長田区のあたりで大規模な火災が発生している映像、
生田神社がぺしゃんこになっている映像、
伊丹駅が崩れている映像などが映し出されていて、
時間が経つにつれて、死者や負傷者の数がどんどん増えていき、
あの神戸がこんなことになっているなんて、と信じられない気持ちでいっぱいになり、
心臓の鼓動はどんどん早くなりました。
神戸や西宮の親戚とはしばらくの間連絡がつかなくて安否が気遣われました。
この地震を体験して以降、地震やその他の災害に対する意識が変わりました。
大災害というものは、本当に実際に起こりうるということ、
家具は倒れうること、その中身は飛び出しうる、それで怪我をする可能性は十分にある、
ということを身をもって理解しました。
あれから何度か引越をしているけれど、家具や家電製品を配置するときは
常に地震が起きたときにどうなるかというシミュレーションをします。
(家具は家に作り付けられているのが一番いいと思います)
それからライフラインが止まったときのための生活必需品の備蓄も常にしてあります。
Knowledge Partners でも、水や食料やヘルメット、軍手?、包帯?などが入ったリュックが
一人ずつ用意されています。有事に歩いて自宅に帰れるようにと地図も用意されています。
さて、これは地震だけに限ることではないのですが、
災害や事故にあって意識を失って倒れている人がいたら、何をすべきかを以前調べました。
(出典はこちら: http://ja.wikipedia.org/wiki/心肺蘇生法
********************ここから***********************
以下では、実際に心肺蘇生法を行う手順の順番及び概略を記す。心肺蘇生法は、心臓停止後早期に行うほど蘇生率が高くなる。詳細は、カーラーの救命曲線を参照されたい。各手順の詳細は、一次救命処置を参照されたい。
■状況の確認
 交通事故や労災などの場合は、二次災害を防ぐため、まず周囲の安全を確認する。
■意識の確認
 意識の有無を確認する(肩を叩きながら相手の耳元で呼びかける。この際、体を揺さぶらない)
■応援を呼ぶ
 周囲に人がいれば、119番による通報、自動体外式除細動器(AED)の手配をお願いする。いなければ自分で行う。
■気道確保(A:Airway)
 固い地面の上に仰向けに寝かせ、片方の手で額を押さえ、もう片方の人差し指と中指で顎を上に持ち上げる(頭部後屈顎先挙上法)。このとき口の中に異物があって取れるときは除去する。
■人工呼吸(B:Breathing)
 鼻を押さえ、胸部がふくらむよう息を約1秒吹き込む。2秒の間をおき、もう一度吹き込む。人工呼吸を行う間隔は、胸骨圧迫30回に1回が目安。ただし、人工呼吸については不要との学説もある。#人工呼吸不要説についてを参照。
■胸骨圧迫(心臓マッサージ)(C:Circulation)
 乳頭と乳頭を結んだ線上で身体の真ん中に手の付け根を置き、4 – 5cm程度沈むように圧迫する。肘を真っ直ぐ伸ばし、約100回/分の速さで圧迫を繰り返す。
■AEDによる除細動(D:Defibrillation)
 自動体外式除細動器(AED)が使用可能であれば、機械の説明を読みながら使用する。
※人工呼吸不要説について
国際的に人工呼吸は必要なものとして認識されていたが、国立循環器病センターや駿河台日本大学病院などが、人工呼吸を行わなくても、蘇生率は同じか、むしろ高いという研究結果を報告している。人工呼吸を行わなくても脳に酸素が届く要因としては、
 ・血中酸素濃度が呼吸停止後十数分は変わらないこと
 ・胸骨圧迫により肺が動くこと
が挙げられている。
********************ここまで***********************
先日テレビでも、人工呼吸と心臓マッサージのどちらがより重要かという話をやっていて、
それによると心臓マッサージの方が重要であるとのこと。
心臓が停止してから数分たつと脳が不可逆な状態までダメージを受けてしまうので
心臓を動かして全身に血液を流し続ける手助けをすることがより大事なのだそうです。
それに、医療従事者でもないいわば素人の私がいきなり完璧な救急措置ができるか
ほとんど自信がないので、心臓マッサージの方が重要であることを覚えておくことにします。
意識がなければ、救急車を手配し、AEDを探してきてもらい、それまでの間、心臓マッサージをする。
ちなみに心臓マッサージのリズムは、約100回/分と言われていますが、
そんなこと言われてもピンときません。この間そのテレビ番組で言っていたのは、
Bee Geesの”Staying Alive”が心臓マッサージのテンポにぴったりなのだそうです(その根拠)。
http://jp.youtube.com/watch?v=gcPdzsL0kMQ&NR=1
何事も音と絡めて覚える私にはぴったりの覚え方です。
それから、「アンアンアンとっても大好きドラエモン」のリズムでもよいそうです。
しかも、肋骨は折れてもいいから力強く思いっきりマッサージするべきなのだそうです。
肋骨が折れるのと心臓が止まったままなのを比較すれば
どちらの方が取り返しがつかないか、です。
それから、秋葉原の事件の後で少し問題になりましたが、倒れている方の血液や体液に
触れないように、コンビニやスーパーのビニール袋をもらってきてからやるべきとのことです。
しかし大災害時にそのようなものを準備できるか、AEDがたくさん確保できるか、
は厳しいと思います。ビニール袋というかゴム手袋は普段から持ち歩くのがいいかもしれません。
火災が発生したときは、階段やエレベーターで逃げるのは危険なので
屋外の非常階段を利用することです。ハンカチやタオルを濡らして鼻や口もとを覆う。
建物内を逃げるときは姿勢は低く。
消化をする際、水や消化器が足りない場合は、濡らしたシーツでも使えます。

ブログ村

どて

Blog > その他 > どて ブログ村

私の味覚の分解能は、世間一般の平均的な人のものよりも、
とてもシンプルな形で完成されたものであるらしく、
よほど強烈な匂いを放っていたり、
よほど見た目がグロテスクなものでない限りは、
お腹が空いていれば
ほとんどたいていのものは美味しいと感じます。
なので、私が美味しいと感じる食べ物に関する細かな分析は苦手です。
微妙な味の違いはほとんどわかりません。
日本ではマグロが大きくなるまでの間にいろんな名前で呼ばれたりするけれど、
英語では一言、TUNAで終わってしまうように、
私も一言、これ美味しいね、で終わってしまいます。
なので、私は昔から、食べることや飲むことに関して、
世間一般の人に比べると、比較的執着心も思い入れも少ないです。
そんな乏しい味覚の私ですが、
時々懐かしく思い出して、あああれをもう一度食べたいなと
思うものが少しだけあります。
それは例えば祖母が昔よくおやつに作ってくれた吉野葛の葛湯だったりします。
葛湯ぐらい、お湯を注げばいいだけですから、
大人になった私はいつでも作れるのですが(今日も作った)、
祖母の作ってくれたものは、なぜか格別に美味しく感じたのでした。
前置きが長くなりましたが、今日ここに書きたいのは、
名古屋に来て初めて食べた、「どて」と「ひつまぶし」についてです。
20代後半の頃、まだ名古屋で働き始めて間もない頃、
職場の近くにちょっとした小料理屋さんがありました。
昼食を取りに偶然そのお店ののれんをくぐり、
そこでは、串カツの定食か、見慣れない二文字のものの定食かの
二択しかなかったので、揚げ物は脂っこいからあまり好きではないので、
何かわからなかったけど、見慣れない二文字のものの定食をオーダーしました。
そこで食べたのが、人生初の、どて飯でした。
ご飯の上に焦げ茶色のどろっとしたものがかけられていて丼状態になっていて、
その上に細かく刻まれたネギがパラパラと散らされていました。
一口ほおばると、
濃厚な味噌の味(ただし甘すぎず、しょっぱすぎず、濃すぎず、薄すぎない)を
ネギがさっぱりと緩和させていて、
それはそれはとても上品で味わい深く、とてもとても、美味しい食べ物でした。
「どて」という2文字の言葉が、一般的に知られている言葉だと
その頃まだ知らなかったので、この「どて飯」はこのお店オリジナルの
お料理なのだと思っていました。
それから私は足繁くその店に通っては
すかさずカウンター席に腰掛け(カウンター席しかない)、
どて飯ばかりを注文するようになっていました。
「おじさん、どて、ちょーでゃー」
どて飯がその店オリジナルのものでないことを知ったのはそれからしばらくしてからでした。
でも、別のお店で食べるどては、
味が濃すぎたりしょっぱすぎたりして、どうも美味しくないのです。
鳥の雛が、初めて見た動くものをお母さんと思うように、
このお店の「どて」の味が、私の中のどての基本になっているからかもしれないのですが、
でも今までのところ、ほかのいろんなお店でどてを食べた機会はあったのですが、
どうも美味しくないのです。何かが違うのです。
やはりあの店の、あのどてがどうしてももう一度食べたいのでした。
いまもやっているのだろうか・・。
それから、ひつまぶしも名古屋に来て初めて食べました。
もっとも有名なH軒にはまだ一度も行ったことがないのですが、
それでも、ひつまぶしのような食べ方をしたことのない私にとって
ひつまぶしはとても新鮮でした。
第一ステージはまあいいとして、
第二ステージの、香ばしいウナギと、山椒をはじめとした薬味とのコラボレーションは
           実に見事だということ。
         (因みにネギよりもわさびよりも山椒とのコラボレーションが一番気に入っています)
第三ステージの、だし汁をかけて食べる食べ方は、そんな風にして食べたことがなかったので、
           ちょっとした驚きでした。
以上が、名古屋の食べ物のうち私がとても好きなもの2品です。
あと、私がまたぜひ食べたいと思うものは、上海蟹の味噌です。
これも、多少美化された思い出なのかもしれないけれど、でも私の記憶の中では
とてもとても美味しかった食べ物の一つです。

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