前回から間があいてしまいましたが、プログラム著作物の争点の最終回(その5)を書きます。
これまでの話(その1~4)の概要は以下のとおり。
今回(その5)は、以上のお話のおさらいとして、「混銑車自動停留ブレーキ及び連結解放装置プログラム事件」(知財高裁 平成21(ネ)10024号)を紹介させてもらいます。この事件は、一審でプログラム著作物としての著作物性が認められ、控訴審でそれが覆されたという事件です。また、特許との関係について判断されています。
プログラム著作物として著作物性があるか否かは、『プログラムに著作物性があるといえるためには,指令の表現自体,その指令の表現の組合せ,その表現順序からなるプログラムの全体に選択の幅が十分にあり,かつ,それがありふれた表現ではなく,作成者の個性が表れているものであることを要するものであって,プログラムの表現に選択の余地がないか,あるいは,選択の幅が著しく狭い場合には,作成者の個性の表れる余地もなくなり,著作物性を有しないことになる。』という考え方で判断されているのが最近の傾向です〔例えば(その4)で紹介した「宇宙開発事業団事件」(知財高裁 平成18(ネ)10003号)〕。
今回の「混銑車自動停留ブレーキ及び連結解放装置プログラム事件」の一審・控訴審もこの考え方に沿って判断がされていますが、より突っ込んだところで判断が分かれました。
一審では『・・このような車両の連結・解放・ブレーキ操作の方法・装置は,特許を取得する程度に新規なものであったことから,これに対応するプログラムも,当時およそ世の中に存在しなかった新規な内容のものであるということができる。したがって,本件プログラムは,DHL車の部分及びTC車の部分を併せた全体として新規な表現であり,しかも,その分量(ソースリストでみると,DHL車の部分は1300行以上,TC車の部分は約1000行)も多く,選択配列の幅が十分にある中から選択配列されたものということができるから,その表現には全体として作成者の個性が表れているものと推認することができる。』と判断されました。ソースコードによって実現される機能が特許的に新規であり、そのソースコードの量も膨大だから、プログラム著作物としての著作物性が認められるというのが一審の判断です。
これに対して控訴審では、『もっとも,1審原告は,本来,ソースコードの詳細な検討を行うまでもなく,本件プログラムは著作物性を有するなどと主張して・・・本件プログラムのいかなる箇所にプログラム制作者の個性が発揮されているのかについて具体的に主張立証しない。したがって,DHL車側プログラムに挿入された上記命令がどのような機能を有するものか,他に選択可能な挿入箇所や他に選択可能な命令が存在したか否かについてすら,不明であるというほかなく,当該命令部分の存在が,選択の幅がある中から,プログラム制作者が選択したものであり,かつ,それがありふれた表現ではなく,プログラム制作者の個性,すなわち表現上の創作性が発揮されているものであることについて,これを認めるに足りる証拠はないというほかない。以上からすると,DHL車側のプログラムには,表現上の創作性を認めることはできない。』と判断されました。ソースコードのどこに選択の幅があって、その選択に創作者の個性が表れていることを具体的に立証していないから、いくら特許として新規性があってもプログラム著作物としての著作物性が認められないというのが控訴審の判断です。
この事件において、プログラムが新規な機能を有することは、プログラム著作物としての著作物性を推認する根拠にすらならないと判断されたことになります。プログラムが特許となる程度に新規であることと、プログラム著作物としての著作物性があることとは、無関係であるということが念押しされた判決であると言えます。プログラムの保護に対する著作権法と特許法の考え方の相違が顕著に表れた判例だと言えます。
プログラムは特許法だけでなく著作権法でも保護されるという印象があり、それ自体は間違いではないのですが、需要者が求めるようなプログラムの新規な機能については特許法でのみ保護されることに留意すべきです。5回にわたってこのテーマを書きましたが、プログラム発明について特許出願をする必要性を改めて認識させられた考察となりました。
一旦、このテーマは終わりますが、コードに選択の幅があるなかで、どのようなコードを選択した場合に創作性が認められるかについて、引き続き調べてみようと思います。