先日、DYさんに僕が岐阜でも山間部ではなく川に挟まれた輪中地帯の出身であることを話したら、あるウェブページ(※1)で情報を仕入れたと思しきDYさんに「輪中根性という言葉があるんだね」と言われました。このページでは輪中根性とは「保守的で猜疑心の強い排他的な自己本位の田舎者」と紹介されている。ひどい言われようである。今後は出身地を明かさないようにしようかな。
DYさんと話をした時点では、輪中根性なんて言葉は馴染みがないと返答をしたのだが、”輪中根性”何となく懐かしい響きである。よく考えてみると高校に入るまでは輪中根性という言葉を聞いたり話してたりしたような気がする。
わが出身地では、中学校まで同級生がすべて同一の輪中に属していた。中学校の校区から足を踏み出すことは、他の輪中に侵入することを意味していた。昔、隣接する輪中の人たちと治水を巡って血みどろの争いがあったといういうことを学校で教わったりしていたので、一般の地域の人よりも、中学校の校区から足を踏み出すことに畏怖を感じていたに違いありません。輪中根性が培われていたと思われる。
高校では通学範囲が広がり、同級生には他の輪中に属する者や、いずれの輪中にも属さない山間部に属する者が含まれることになった。入学当初は輪中根性同士がぶつかりあうこともあったのかもしれいないが、このころから輪中根性という言葉は意識のなかから薄れていったと思う。今僕は輪中の外で暮らしているし、今時輪中の中だけで生活が完結することはあり得ない。
そうはいっても、長年の輪中生活によって培われた輪中根性が僕自身の内面に染みついていることを完全に否定することはできない。無意識のうちに他人に輪中根性を見せつけてしまっているのかもしれない。今後は気をつけることとしよう。
輪中根性がなぜ生まれるかピンとこないかもしれないので、その理由の一端を下図(クリックで全体表示)で簡単な説明をしておきます。
黒い線が輪中の輪郭を形成する堤防です。川上の方が地面が高いので水は自然に川下に流れるのが前提です。川下の輪中Bが水門を閉めるた場合、輪中Bは浸水することがない反面、輪中Aの決壊箇所よりも川上の地域も浸水する。川下の輪中Bが水門を閉めない場合、輪中Bは全体が浸水する反面、輪中Aの決壊箇所よりも川上の地域は浸水しない。こんなような状況ですから、稲作を生業とし洪水から確実に命を守る術がなかった時代では、輪中根性が根付くのは致し方ないと思われます。また、第三者から見れば、水門を開けたままにしておいた輪中Aの人が「自己本位」だと思われますし、水門を閉めた輪中Bの人が「自己本位」だと思われてしまいます。
ちなみに(※1)のページには「福束輪中の水門を締め切ることでその内側は水害から免れることができた。」と記載されているが、残念ながらわが実家はその外側(輪中Aの決壊箇所よりも川上でした)。
(※1)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E4%B8%AD
「昔からやってみたかったんだよねえ、コレ。」って結構ある。
でも、やってないのは自分であってやってみたいならさっさと試してみると良いようだ。
僕:「僕って昔はゲームプログラマーになりたかったんだよねえ。」
嫁:「じゃ、今からやればいいじゃん。」
先日こんな会話を経て気付きました。やってみたいとか妄想していても意味ないぞと。
自ら自分の可能性を狭めちゃあいかんですね。
で、早速1,2冊本を買い込んでプログラムの勉強をしてみた。仕事にも役に立つし。
で、早速挫折した。子どもの頃はわからなくて挫折したのだが、今回は興味がなくて挫折した。
どうやら、僕には「ゲームを作る」ことに情熱を注ぐ感性はないらしい。
ユーティリティソフトを作ろうかと思ってみたが、やっぱり情熱はわいてこない。
そんな訳で挫折した。でもむしろすっきり。試してみて初めて自分の適性がわかったので。
さっさと試してみることが重要ですね。
そういえば、ロボットも作りたかったぞ。
僕が高校生ぐらいのとき、黎明期のロボコン的イベントを
NHKで放映しているのを見てえらい感動した。
試行錯誤を繰り返しながらアイディアをロボットとして具体化する、
その創造的な空間をすごくうらやましく思いながら番組を見ていた。
で、近年のロボコン界を調べてみると、、、ロボットキットなんかが発売されていたりして
当時に比べるとかなり敷居が低いようだ。
もしかして僕でもロボットを作れるのでは?
我ながらちょっとオタッキーな香りがするが、お小遣いが貯まったら試してみよう。
仕事でも以前からやろうと思ってたことは沢山ある。明細書の書き方の工夫ネタなら山ほどある。
例えば、特許の権利化段階では審査官の指摘した引用文献に対して、
権利化対象の技術の優位性を述べて反論することになる。
反論の過程では、権利化対象の技術の構成とその構成による効果をセットで主張することが多い。
てことは、予め明細書のどの部分に効果が書いてあるのかわかるようにしておけば、
権利化段階で主張し得ることを明細書から簡単に抽出できるように思える。
で、効果は、通常、明細書の中で「~できる」「~可能である」
「**するため、~となる」など様々な表現で記述してある。
この表現を統一しておけば、効果として主張し得ることを簡単に検索して
一覧にすることができるのではないか?効果は全て「~可能である」と書く。それだけ。
でも、統一してあればきっと便利なはず。早速試してみることにしよう。
ここ数年海外旅行をしていない。
そろそろ行きたいと思いつつなかなか腰が上がらないので、旅行気分を盛り上げようと先日中部国際空港に飛行機を見に行った。
久々の国際空港。スーツケースを持った人、チェックインカウンター、搭乗案内の掲示板・・・・。この雰囲気久し振りーと気分よく展望デッキへ。
んー、なんか飛行機少ない?しかもANAばっかり。路線縮小で外国の航空会社がたくさん撤退してるからしょうがないのか。そのままデッキで見学していたら、夕方になるにつれて離発着便が増えてきてそれに伴い見学者の数も増えてきた。立派なカメラで熱心に飛行機や夕日の写真を撮ってる人もたくさんいました。
海沿いで風が強く、寒くてデッキでは30分ほど見学しただけだったけど、エンジン音とともに飛行機が飛び立っていく姿には「おお~」と。でもANAばっかり。外国へも飛んでいるんだろうけど、やっぱりいろんな外国のマ-クのついた飛行機が見たかったなあ。
結局海外旅行に行くモードはそれほど盛り上がらず、それでも飛び立っていく飛行機の姿にはそれなりに感動して、最終的に空港内のお土産屋さんで栗きんとんを買って家路につきました。
海外旅行、いつ行くんだろう。