先日このブログに書いた、我が家の塀に巣を作った鳩家族のその後。
8月半ば: 無事ひなは孵化した模様(たぶん2羽?)。
つばめのひなのように元気いっぱい鳴かない。鳩ってそういうものか。
8月16日夕方: 朝はいた親鳩がずっと不在。ひなが見えるが、横になってぴくりとも動かず。
・・・なんか心配だけど、しばらく様子見。
8月17日朝: 親鳩がいる!半分安心、しかし親鳩の見たことのない体勢(立ち上がって羽根を広げて
いるように見えた。)に一抹の不安を感じつつ出勤。
8月18日朝: 巣、もぬけのから。
親鳩子鳩ともにきれいにいなくなる。何これ。
以上。
うちに巣を作った鳩の顛末でした。
残った巣には羽毛がちらばってたり血が飛んでたり、そういったことは一切ありませんでした。本当にきれいに何もない状態。
今思うと、たぶんあのひなは8月16日には死んでいたんじゃないかと思うけど、割とサイズは大きかったし、姿形きれいになくなるなんて一体どういう現象か。巣立った、と無理やり思いたいところだけど、そこまで成長してはなさそうだったしなあ・・・。
なんとなく後味の悪い結果になってしまいました。
うちの自宅ガレージの塀にノーゼンカズラがまるで森を作るかのようなすごい勢いで成長してきている。
そこで、先日邪魔に思った家人が枝ばさみでチョキチョキ切っていると。。。。。。。
その森の中から、鳩の巣が出現!!
家人は、そこで巣ごもりしている鳩と目が合ったらしい。
おどろいてそこで枝切りをやめたらしいけど、鳩としても、せっかく外から見えないと思ってわざわざ森の真ん中に巣を作ったのに、いきなり視界が開けてしまってびっくりでしょう。
でももう卵をあっためてる状態のようで今さら場所替えすることもできないらしく、そのまま毎日丸みえ状態。
はじめは体を横向きにしていたので人間が庭を通ってもダイレクトに視線を合わせることはなかったのに、昨日からは正面を向いているらしい。
したがって、人間が庭に出るとまともに正面から目が合う姿勢。
さすがに鳩だから(?)かなり人間になれているのか、特に警戒する様子もないのでこのままうまく雛が孵って無事巣立っていってくれるといいな、と。
この先のひなの成長が楽しみ。
それにしても鳥の巣というと、
家の軒先につばめが巣をつくって雛がピイピイ泣いているのはよく見かける光景だけど、鳩が庭に巣を作るってよくあることなんでしょうか?
つばめは翌年も同じ家に戻ってきて同じ場所に巣を作ると聞いたことがあるけど、鳩もそうなんでしょうか?
あの鳩家族は、これから毎年あの場所に巣づくりするのか?
まあとにかく、カラスに巣作りされなくて良かった。
毎日暑うございますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
少し前に皆既日食がありました。
最大に欠けるといわれていた時刻には、まるでこれから夕方に向うかのように
辺りがやや暗くなったように思いましたが、
しかしながら、雨雲による暗さと明確に区別がつかず、
なんとも消化不良に終わりました。
木漏れ日にも三日月形の影ができるのを見てみたかったのですが。
さて先日、何の気なしにテレビで国営放送を見ていたら、
ちょうど、とある刑事ドラマのエンディングクレジットの場面が映し出されており、
そのエンディングクレジットの背景の映像になんだか見覚えがあるなと思ったら、
名古屋の街並みでした。
どうやら名古屋の放送局で製作されたドラマのようでした。
最初の方に、桜通りを、名古屋高速都心環状線の高架下あたりから名古屋駅に向う方向に進む映像が写ります。
その後も、栄の観覧車が写ったり、
最後の方に、錦通りを東から西に向う方向に進む映像が写ります。
そのときに、Knowledge Partnersが入っているビルも画面左手に写っていました。
自分のよく知っている場所が写っているのを発見すると、
ちょっと嬉しいものですね。
本州でこんなに暑いのですから、沖縄はきっとものすごく暑いのでしょうね。
数えてみると沖縄に三度出かけたことがありますが、
いまだかつて真夏の沖縄を体験したことがありません。
もう数ヶ月も前になりますが、4月下旬に西表島を訪れたとき、
カヌーを初めて漕ぎました。そのときの気持ちよさが忘れられません。
まだGWが始まる前でしたので、他の誰ともすれ違わず、
ただ、風の音、川のせせらぎ、パドルをこぐ音、鳥と虫の鳴き声、
だけが聞こえました。他は何も聞こえませんでした。
亜熱帯独特のマングローブの中をこぎ進んだり、
河口の方まで出てみたり、
全力で漕いだらどれぐらいスピードが出るか試してみたり、
しました。
それはそれは、気持ちがよかったです。
機会があればまた行きたいです。
もうすっかり、沖縄に魅せられました。
川の上流や下流を行ったり来たりしているときに、
川面にぷかぷか浮いていたメヒルギかオヒルギ(マングローブ)の種を
「これ、持ってかえって育ててみてください」と手渡されたので、
それをうちに持って帰って育てています。
もう根も出て、茎も伸びています。どこまで大きくなるでしょうか。
楽しみでもあります。
西表島は、山も海も川も、本当にとてもとても素晴らしいところですね。
以上、とりとめもない話を失礼いたしました。
梅が出回る時期の雨なので、梅雨と書くのだということを
梅干しを漬けるようになってから改めて気づきました。
梅雨のこの時期、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
昨年から梅干しを自家製しています。
今年は梅を2kg買い、1.35kg程度を梅干しに、
そして梅干し漬け用の壺に入りきらない残りの梅を梅酒にしました。
梅酒を作るのは今年が初めてでした。
この入りきらない梅をどうしようか考えた末に急遽思い立ったので、
氷砂糖が手に入らず(わざわざ買うつもり無し)、糖類なら氷砂糖にこだわらなくてもいいのでは
ないかと思い、家にあった黒砂糖やらメープルシロップやらを投入し、
1時間弱で完了しました。3ヶ月後ぐらいから飲めるとのことで、
うまくできているとよいのですが。
梅干しの方は今年で2回目で、だいたいやるべきことは頭に入っています。
とりあえず注意すべきことはカビが生えないように神経質なまでに清潔にすることです。
35度の焼酎を使って、です。
塩分の量は、梅の重量の18%にしました。自然塩を使います。
1週間程度で梅酢があがったので、赤紫蘇を購入し、その日のうちに処理しました。
赤紫蘇は、すぐしなびるので急がないといけないのです。
昨年は、あく抜きなどの下処理をしてもう梅酢に漬けた状態のものを買ってきて
壺に投入しただけなのですが、今年はナマの赤紫蘇から挑戦です。
紫蘇の葉を一枚ずつ綺麗に洗って汚れを落とし(そのうちの一枚に体長2cm直径数mm程度の何かの幼虫がまったりくつろいでいるのを発見したとき、くじけそうになりました)、
茎から葉をちぎって、水気を十分に取る作業はなかなか骨が折れました。
そこから塩でもんで固く絞ってあく抜きをします。
青紫色の汁が出ると書いてあったので、それを期待していたのに、
1回目のあく抜きのときに出た汁の色は黄緑色で、予想していた色と
違う色が出ると、怖くなります。気持ち悪くなりました。
たとえば、乳牛の足下に跪いて搾乳したとき、白い液体が出てくると
思ったのにイカスミのように黒い液体が出てきたとするととても驚くだろう状況と
似ていると思います。
でも黄緑色の汁が出終わると、無事青紫色の汁が出ました。
赤紫蘇は大量な量がビニール袋に入れられて売られているので、
当然1.35kgの梅干し用の梅に対する赤紫蘇の量をはるかに超えているわけで
余った赤紫蘇をどうしようか考え、シソジュースを作ることにしました。
赤紫蘇を煮出すと出てくる液体は、前述の通り青紫色なのですが、
酸性のものとまざると鮮やかな赤紫色に変化します。
化学の実験など、高校以来やったことがない自分にとっては驚きの瞬間のはずでしたが、
その液体を入れた容器の内壁の色が濃いグレー(ほぼ黒)であったため、
青紫→赤紫の色の変化はあまり見て取れず、楽しめませんでした。
本来は、クエン酸を入れるそうですが、そんなものはうちになかったので、
普通の米酢を入れました。あと、糖分も味を見ながら適当に投入します。
(梅干しが綺麗な赤紫色になるのは、梅酢のクエン酸と反応しているのだろうと思いました)
そうやって手間暇かけて作ったシソジュースは、2Lのペットボトル1コ分ぐらいできあがりました。
そのシソジュースに氷を入れて、濃いめの味で飲むと、なんとなく体がしゃきっとします。
蒸し暑くてしんどいなと思うときの自家製栄養ドリンクです。
ところで、自家製梅干しは、保存料など入れないので塩分濃度が低いと
カビが生えてすべてが台無しになってしまいます。なので塩分濃度が
ある程度高くなるのはしょうがないことなのですが、実際食べる段階になると、
しょっぱすぎて心臓がどきどきするぐらいなので、そのままでは食べられそうに
ありません。そこで、食べる分だけ(たとえば1ヶ月に食べそうな分だけ)
保存用の壺から取り出して塩抜きして、小さい容器に移し、冷蔵庫で保管します。
塩抜きすると、ようやく普通に食べられるぐらいの塩梅になります。
なんでも、自分が手間暇かけて、あるいはあれこれ考えて作ったものは、
食べ物にしても、工作系にしても、大事に味わいたいあるいは大事にしたいと
思えるものですね。
いってきました、「コルテオ」。
2007年の「ドラリオン」から約1年半ぶりの非日常空間。
ちょっとクラウンの場面が多すぎのような気もしたけど、綱渡り、大人数での鉄棒、シーソー、天井からぶらさがってのパフォーマンスは本当に素晴らしい!の一言。人間の体ってすごいんだなあ。
簡単にやっているように見えるので自分にもできるんじゃないかと思ってしまうけど、そんな訳がない、マネしたら間違いなく大ケガ。
舞台も暗くして照明で雰囲気を作ってあって、衣装も美しいし、音楽や歌もその場で生演奏。
なんていうか・・・幻想的な世界。見てる間、脳内麻薬が出ていた気がする。
2時間半の公演が終わった後は別の友人も合流してちゃんこ鍋の店へ。
その人も前日にコルテオに行ったそうなので話していると、どうも演技の内容の一部が異なっている?
私たちが見たときは2人で演じていたものが、その人が見たときは一人で演じていたと。肉体を酷使する演技だから、その日の体調とか事情があったりするのかな?名古屋だけでも約1か月半ほとんど毎日公演するんだから、構成や演者は変えてるのかな。
今回の「コルテオ」、初めてシルク・ド・ソレイユを見た「キダム」の感動には及ばないけれどやっぱり良かった。次回また新しい公演が来れば行くんだろうな。
東京ディズニーランド内の常設劇場での「ZED」にも行ってみたいし、ラスベガスの「オー」にも行きたい、いつか。
特許業界ではほとんど一人で明細書を完成させる。
教えられる立場であれば通常はコーチの意見を聞きながら明細書を完成させるが、
教えられる立場を卒業すると他人のチェックを経ることなく納品に至るケースが大半となる。
これではいかん。
自らの進歩が止まってしまう。
自分の中で理想の明細書を日々追求し、書き方を常に工夫しているとしても、
やっぱり進歩が停滞しているように感じる。
先日世間話をしていたら、DYさんも同じように感じていたようだ。
そこで、時間があるときには互いのクレームをチェックすることにした。
これが結構緊張する。
お互い品質に厳しく、「これじゃあ訳がわからんのじゃないすか?」
ぐらいのことは平気で指摘し合うからということもあるが、
やはり、互いの指摘がもっともだからというのが大きいように感じる。
そう。やっぱり、互いにチェックをすると理想型に近づくための思索ができる。
まだまだ伸びしろはあったのだ。
経験者の指摘を受けながら良いものを作っていく行為は業界駆け出しのときのような新鮮さがある。
人間、停滞していちゃいけないなあ。
KPではお客様とのコミュニケーションを大切にしている。
弁理士業は、自らの経験や学習に裏付けられた知見に基づいて
お客様にサービスを提供する業種であるため、業界でまじめに仕事を続けていると
次第に仕事の理想像というか大事にしているポイントが固まってくる。
このような「自らの価値観」みたいなものを持たない業界人は信頼されないと思うが、
価値観を持つことによって柔軟な発想が妨げられることもある。独りよがりってやつだ。
独りよがりにならないために、お客様とのコミュニケーションは重要である。
特に、
お客様が我々に何を期待しているのか?
どのような明細書、請求項を理想としているのか?
このあたりには常にアンテナを張りながら仕事をしたい。
請求項についてお客様のニーズを伺ってみると、、、
「請求項って一読しただけではよくわからんのだよなあ」
という印象を持たれているお客様が結構いらっしゃる。
請求項は権利範囲を確定するための文章であるため、
ここの記載には妥協を許さず力一杯努力をする。
しかし、数ある公報の請求項を読んでみると、一読して意味がとりづらい文章が多々ある。
請求項の文言を一つずつ解釈していって権利範囲を特定するという視点からすれば、
ある程度わかりづらくなることは当然のようにも思える。
でも、「請求項ってわかりづらいものなんです」なんて言いながら
自分のスタイルを変えないで仕事を続けると、まさに独りよがりである。
権利解釈上不都合になることがなく、しかもわかりやすい。
これが請求項に求められる最低限の要求であろう。
「一読したときにわかりやすい請求項」を作成する弁理士。これを直近数年の目標としよう。
KPでは、明細書の全案件についてお客様から品質の評価いただいている。
この評価は少なくとも一年に一回集計し、集計結果をお客様に報告する。
明細書評価は種々の目的で利用できる非常に価値の高い情報であるが、
その最も大きな利用価値は、当然ながら明細書品質の向上ツールとしての価値である。
今回、1年分の明細書品質評価を集計し、
品質評価システムがKPにとって重要なツールであることを改めて確信した。
明細書品質の評価基準は人によってバラバラなので、
品質を評価してもその評価結果をうまく利用できないという意見を聞くこともある。
しかし、評価基準が変動し得るとしても、
一定以上のスパンで評価を集計すると色々な情報を抽出できる。
抽出した情報をお客様に提示してご意見を伺えば、
抽出した情報が誤りであるか否かを確認することもできる。
例えば、ある評価項目が他の評価項目よりも高い評価あるいは低い評価であり、
この傾向が一年間にわたって現れていれば、
お客様はKPのどこを評価し、どこに不満を持っているのか分析することができる。
今回の集計報告では、年単位で評価の大きな変動を捉え、
その変動から結論づけられそうなことをいくつかピックアップした上でお客様のご意見を伺った。
その結果、お客様の印象と一致する結論をピックアップできていることがわかった。
今回の報告では、集計結果に基づいて明らかにしたお客様の印象に基づいて
よりよい明細書を執筆するための目標が明らかになったので、この目標を09年度の目標とした。
誰もが信頼性を懸念する明細書評価システムであっても、
解析の仕方を工夫すればとても使える重要なツールになるようだ。
今後、評価シートの評価項目や評価基準など、
至らない点について常に改善を図っていけば、
僕らの強みをよりいっそう強くする極めて使いやすいツールになると思われる。
最近、思うところがあり、
毎朝、以前より10分早く席に着き、
仕事を始める前に計算問題を解くようになりました。
いわゆる100マス計算です。
手書きのものではなくて、大人の算数的なソフトを使ってやっています。
(手書きだと採点が面倒だから)
5×5個や10×10個のマス目の上と左側にそれぞれ数字が表示され、
それらを、あるときは足し算し、ある時は引き算し、またある時は掛け算するのです。
スタートボタンを押すと、500msごとにチクタクチクタクという音が流れるので、
いきなり焦らされます(感覚的には500msよりもうちょっと短い感じがします)。
計算結果を入力してエンターキーを押すと、その場で○か×かが音と共に伝えられます。
間違えるとブブーとやられます。
ムっとなります。
今はまだ一桁同士の計算しか出てきていないのですが、
それでも、1セットで合計、(5×5)×3+(10×10)×3=375回計算すると、
最後の方は結構疲れて集中力がなくなり、計算のテンポが遅くなるし間違いも増えます。
終わった後は頭の血管内で血液が勢いよく流れてる感じがします。
100マス計算をやるようになって思うのは、
特にかけ算をやっていて思うのは、
もはやいちいち九九を頭の中で唱えていないということです。
数字と数字の組み合わせを見たら、
それらを掛け合わせた数がぱっと頭に浮かぶのです。
(ただし、一桁×一桁の場合だけ)
子供の頃はいちいち頭の中で九九を唱えていたような記憶がありますが、
大人になると、数字の組み合わせだけで分かるようになるのですね。
足し算引き算もそうです。
数字の組み合わせを見れば、その答えがヴィジュアル的に
ぱっと浮かぶようになるのですね。慣れでしょうか。
私はそろばんも習っていなかったし暗算はどちらかというと苦手です。
なので、ステージが進んで、二桁同士のかけ算とかになったら、
暗算で解ける自信がありません。
そろばんをならっていた人や、インドやシンガポールの子供たちは
どうやってそんな計算を頭の中でやっているのでしょうか。
私が二桁以上数同士の計算を暗算でしようとすると、
頭の中では仮想筆算が行われます。
でも私のメモリは揮発性が激しいので、足し算引き算まではよくても、
二桁同士のかけ算では、最後に足し合わせるために記憶しておかなければならない数字を
容易に忘れてしまいそうです。
そろばんを習っていた人は暗算をするとき、右手が動いていたりしますが、
それはきっと頭の中でそろばんの玉の状態がヴィジュアル化されているのですよね。
人間の頭の能力ってすごいですね。
残念ながらそろばんが扱えない私は、仮想筆算路線で行くしかない(と思っている)のですが、
そうすると、数字を忘れずに覚えておくという訓練をしないと、
二桁のかけ算はできないですね。だめですね私。
それとも、よく知らないのですが、インドやシンガポールの学校での二桁のかけ算は、
日本の学校では九九は丸暗記するものであったように、丸暗記するものなのでしょうか?
(99-9)^2=8100個も? それは・・まねできません。
それから、高校を卒業して以降、漢字が思いの外、書けなくなりました。
読めるのですが、書けないのです。
最近手書きで書く文字と言えば、自分の住所と名前ぐらいなものです。
英単語のスペルも怪しくなってきました。見れば読めるし意味も分かる単語も
書こうとするとあら?と思うことがあります。
パソコンを使うことに慣れすぎて、自分の手を動かして絵を描いたり図を描いたり
字を書いたりということをしなくなりすぎました。
このままではパソコンの便利さにspoilされて際限なく記憶力も思考力も低下していきそうです。
原点に立ち返らなければと思いました。
昨日はお休みをとって、眼科に行ったり、銀行に行ったりと、買い物に行ったり、と、
たまっていた用事を順に片付けて行きました。
街を歩いていると、道ですれ違う青年が熱心に携帯を見ていました。
すれ違い違いざまに、実況の音声が青年の携帯から漏れ聞こえました。
眼科の待合室では、順番待ちのおじさんが携帯を熱心にのぞき込みながら
「よし、三者凡退だ」とつぶやいていました。
薬局では、大きなテレビのモニターが置いてあり、薬待ちのお客さんも薬剤師の人も、
ソワソワチラチラと状況を見守っていました。
私が薬局に入ったちょうどそのとき、韓国に1点を返されて1-1の同点になっていました。
薬局に入るなりそのモニターが目に入って戦況を知り、絶句して固まってしまった私に、
薬剤師の方は、私が我に返るまで傍らで静かに待っていてくれて、
ほほえみながら受付用紙を渡してくれました。
すべての用事を済ませて家に帰り着いたころ、試合は終盤を迎えていました。
9回裏に同点に追いつかれたとき、
ああもうこれ以上見ていられない(心臓がどうかなりそうだったから)と思い、
テレビを消しました。
それでも試合がどうなっているか気になったのでパソコンをつけて、
テキストで実況しているページを自動更新設定にして見ようとしましたが、
アクセス数が多すぎたみたいで(パンクして?)つながりませんでした。
皆さん、相当試合が気になっているんだなと思いました。
次にテレビをつけると、原監督がマウンドに走り寄っているところでした。
そうです。一番いいところを見逃しました。
ですが、ああ、勝ったんだ・・・そう思ってすごくほっとしました。
韓国は本当に強敵でしたが、WBC2連覇、本当におめでとうございます。
選手のみなさんは、私などが想像もできないような相当なプレッシャーを感じていたと思いますが、
そんな中ちゃんと三振を取ったり、絶妙なところにヒットを打ったり、
絶妙に送ったり、盗塁したり、本当にすごいなと思いました。
王さん風に言うなら、「諸君たちは本当にすばらしい。」
原さん風に言うなら、「お前さんたちはほんとにすごい。」
サクラサク。
本当におめでとうございます。興奮と歓喜をありがとう。